氷河期世代は本当に損をしたのか?

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私は数年前まで、氷河期世代って本当に中途半端な世代だと思っていた。

私自身も氷河期世代で、位置的には後半部分にあたる。就職する頃にはバブルなんてとっくに弾けていて、華やかな時代の片鱗すらなかった。高卒で大学に入ったわけでもないから、就職で大きな挫折を味わったわけじゃない。勉強もあまりしてこなかったし、大手企業に入れるはずもなく、就職に関しては特に文句もない。

でも、良い大学に入った人たちからしたら、努力の結果が報われない時代だったんじゃないかと思う。悔しい思いをした人も多かっただろう。

バブルの輝きと、その後の世紀末

小学生の頃はバブル全盛期だった。

中流家庭の庶民だったから、自分が贅沢できたわけじゃない。でもテレビの向こうの人々は楽しそうで、世の中全体に活気があった。あの雰囲気だけは、子供ながらにしっかり覚えている。

そしてバブルが弾けた後、90年代後半。世紀末に近づくあの独特の空気感。ミステリアスで、寂しくて、物悲しくて、でもすごく魅力的だった。あの頃の作品や雰囲気を、リアルタイムで体験できたのは、今思えば贅沢なことだったのかもしれない。

氷河期世代って、中途半端じゃないか?

私が「氷河期世代って微妙だな」と思っていた理由はいくつかある。

バブル時代のような宝石を漁れる時代でもなければ、氷河期以降の「努力至上主義」や「体罰教育」が見直され始めた時代でもない。古い時代と新しい時代の、ちょうど境目。どっちつかずな世代だと思っていた。

さらに時代が進めば、YouTubeやSNSが発達して、知識を得るハードルも下がった。最近ではAIまで登場して、何かを始めるハードルもどんどん低くなっている。

例えば、私は高校生の頃、漫画家を目指すか小説家を目指すか迷った時期があった。

漫画が大好きで、小説は数冊しか読んだことがない。当然、漫画家を目指すと思うだろう。でも私は小説家を目指した。理由は単純で、「紙とペンがあれば目指せる」から。

漫画も紙とペンで描けるじゃないか、と思うかもしれない。でも応募するにはそれ相応の道具が必要だった。Gペンとか、普段使ってないと扱いが難しい。他にも揃えなきゃいけない道具はたくさんある。

当時の私は「オタク」と周りから散々揶揄われていた。

中学の頃から「オタク」という言葉が流行り出して、多分みんなその言葉を使いたかっただけだと思う。でも私にとっては劣等感が育っただけだった。だから漫画を描くための道具を揃えようものなら、家族に何を思われるか分からないという気持ちがあった。「体とか描くのがめんどい」というのも正直あった。2回ほどノートで描いて挫折した。

でも今は、板タブや液タブとパソコンがあれば漫画が描けるし、応募もできる。もし私がもっと下の世代に生まれていたら、漫画家を目指していたかもしれない。(オタクと揶揄われていなければ、だけど)

だから「氷河期世代じゃなくて、バブル世代かもっと下の世代に生まれたかったな」なんて考えていた。

30代後半で気づいた、あの頃の価値

でも数年前から、その考えが間違っていたことに気づかされた。

特に何かがあったわけじゃない。30代後半になって、ふと昔のことを思い出すようになった。

バブル時代のあの頃。小学生のあの頃。最高のコンテンツに溢れかえっていた。

人々には活気があって、熱狂していた。ドラクエが発売されれば長蛇の列ができたし、コンサートでは興奮して倒れる人もいた。テレビは毎日面白い番組で溢れていたし、ジャンプは今思えば伝説的な漫画のラインナップだった。

ドラゴンボール、幽遊白書、スラムダンク、ジョジョの奇妙な冒険、シティハンター、ダイの大冒険、こち亀。これだけでも豪華なのに、さらにみどりのマキバオー、ラッキーマン、変態仮面、ジャングルの王者ターちゃん、BOY、忍空、すごいよマサルさん。子供心をくすぐる漫画が勢揃いしていて、まさに宝石箱のようだった。

ゲームや家電機器もどんどん進化して、ワクワクが止まらなかった。

そんな輝かしいコンテンツ黄金時代を、小学生という感受性の高い時期に体験できた。大人よりも数倍楽しく感じられたんじゃないかと思う。そして子供の頃に体験したことは、生涯ひきずる。

楽しかったあの頃がある氷河期世代は、表現できない「何か」を抱えて生きていけるんじゃないだろうか。

「良い時代」を知っているということ

「良い時代」を知っているからこそ、「また良い時代が来るんじゃないか」という希望を持てる。

もしかしたら、下の世代よりもその希望は強いんじゃないか。というか、下の世代は「良い時代が来る」ことすら想像できないかもしれない。(もちろん氷河期世代でも希望を持てない人はたくさんいるかもしれないけど)

少なくとも私には、政治がちゃんと機能して景気が良くなれば、また「良い時代」が来るんじゃないかという希望を持っている。日本人にはまだクリエイト気質があるし、真面目さも変わっていない。そう信じている。

もし自分がバブル世代だったとして、AIが発達したこの時代についていけなかったんじゃないかとも思う。氷河期世代よりもっと古い思考に凝り固まっていて、「AIで何かするよりも、年金受給する年齢まで我慢して細々と暮らそう」なんて考えて、AIに触りもしなかったかもしれない。新しい技術を排除して生活していたかもしれない。

昔も新しいも、両方知っている世代

だから氷河期世代っていうのは、昔の時代を共有できるし、新しい時代も共有できる、唯一の存在なんじゃないだろうか。

バブルの輝きも知っている。その崩壊も知っている。そしてそこから失われた30年も経験している。そして今、AIや新しい技術にも対応できる柔軟さもある。

そう考えると、「氷河期世代でよかったな」と、「面白い世代に生まれたな」と今では思える。

中途半端だと思っていたあの立ち位置が、実は一番”いいとこ取り”だったんじゃないか。そんな気がしている。

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